前回、デイトレの期待値の出どころを調べた結果を書いた。テクニカル売買のルールは何千通りも検証された上で、残らなかった。
すると、当然こういう疑問が残るはずだ。
「では、株のテクニカル分析というのは、パチスロの波読みと同じただのオカルトなのか?」
MACDもRSIも移動平均線も、世界中の証券会社のツールに標準搭載され、無数の解説書が出ている。それが全部、ジャグラーの「そろそろ光る」と同レベルだとしたら、あまりに話がおかしい。
答えを先に言うと、「イエスであって、イエスではない」。そしてこの奇妙な答えの中身こそが、パチスロと市場の一番深い違いだと私は思っている。
オカルトの定義から始める
このブログで散々書いてきた通り、パチスロの波読みや「ハマり後は連チャンする」が間違っているのは、読む対象に構造が存在しないからだ。
ノーマルタイプの抽選は完全確率で(証明できるかはさておき)、毎ゲーム独立。過去の出来事は未来に一切影響しない。波は実在しない。つまり波読みとは、読むべきものが最初から存在しない場所で何かを読んでいる行為だ。これがオカルトの定義である。
ところが、市場には構造が実在する
一方、株価の値動きは完全確率の抽選機ではない。
たとえば、荒れた日の翌日は荒れやすい(ボラティリティの偏在)。これは統計的に確認されている実在の性質だ。そしてテクニカル指標そのものも嘘はついていない。MACDの山が縮んだとき、買いの勢いが実際に落ちたのは事実だ。過去の記述としては正確な数学なのだ。
読むべき構造がある。指標も正しく計算されている。なのに、前回見た通り、それでトレードしても勝てない。
なぜか。ここで乱数の「作られ方」の違いが効いてくる。
「無機的」な乱数と「有機的」な乱数
パチスロの乱数は規則によって無記憶だ。型式試験を通った抽選プログラムが、毎ゲーム独立を保証している。誰かが頑張ってそうしているわけではない。仕様として、静的に、ランダムなのだ。
市場の乱数は違う。市場は捕食によって無記憶に「され続けている」。
値動きに読める形が現れたとしよう。それは床に落ちた現金と同じで、誰かが拾い尽くすまで放置されない。形を見つけた者から順に売買し、その売買自体が価格を動かして形を消す。拾われた瞬間、その形は過去のものになる。
つまり市場は、予測しようとする人間が大量にいるせいで、予測不能な状態に絶えず押し戻されている。パチスロのランダムさが無機的な仕様だとすれば、市場のランダムさは有機的に製造され続けている。
だから株のテクニカルは、「存在しないものを読むオカルト」ではない。「存在した形の、拾われ尽くした跡地の地図」なのだ。
株のテクニカルは、4号機の攻略法である
この感覚、パチスロ打ちなら一発で通じる例えがある。4号機時代の攻略法だ。
コピー打法、スーパーBIG変換打法、小役抜き打法…あれらは確かに実在した。実際に勝てた人もいた。ただし、発見され、雑誌に載り、広まった時点で対策されて終わる運命にあった。裏を返せば、雑誌に載っている攻略法は載った時点でもう終わっている。
移動平均のゴールデンクロスは、世に出てから60年を超えた攻略法だ。MACDですら半世紀近く前のものだ。
しかも市場の場合、これは俗説ではなく研究で確認されている。学術誌に掲載された「本物の」アノマリー(市場の歪み)ですら、論文が公開された後はリターンが大きく痩せることが知られている。
本物ですら公開されると死ぬ世界で、証券会社のツールに標準搭載された形が生き残っていると考える方が不自然だろう。
親切なゲームと意地悪なゲーム
前回紹介したブラジルの研究には、97%が負けたという数字よりも恐ろしい発見があった。300日続けても上達の証拠が見られなかったのだ。
いくら経験を積んでも再現性が身につかない。これはきつい。このブログでも書いてきた通り、勝ちへの道は再現性そのものだからだ。

なぜ上達しないのか。心理学には「学習が成立する環境」の条件がある。ざっくり言えば、ルールが固定で、結果の答え合わせが正確にできて、同じ状況が繰り返し訪れる環境でだけ、人間の直感は鍛えられる。
パチスロは、この条件をほぼ満たす「親切なゲーム」だ。BIGやREGの意味は明日も変わらず、判別の答え合わせは閉店データと突き合わせられて、同じ台に何百時間でも座れる。
もちろんパチスロも不変ではない。4号機から5号機、そして6号機へと規則は変わり、同じジャグラーでも機種ごとにボーナスやブドウの設定差は違う。
だが決定的なのは、台が変わっても新しいスペックは公表され、そのたびに完全確率という同じ土俵で判別をやり直せることだ。REGを数え、ブドウを見て、事前確率を組むという作法は、機種をまたいでも持ち越せる。的はゆっくり、しかも表向きに入れ替わる。
だから20年打てば、ちゃんと20年分の腕になる。店選びの記事で書いた「再現性」とは、環境が同じ土俵を用意し続けてくれるから、腕も結果を再現できるという、環境と技術の共犯関係のことだったのだ。
対して市場では、読めた形は読まれた瞬間に消える。去年の教訓が今年の罠になり、答え合わせの仕様書は最初から配られない。
デイトレは「意地悪なゲーム」の教科書例だ。勝率5割前後の世界では1回1回の結果はほぼ運で、「正しい判断で負け」「間違った判断で勝ち」が日常的に起こり、脳は間違った教訓を刻み続ける。
パチスロなら「正しい判断だったか」をスペック表で検算できるが、市場には答え合わせの仕様書がない。そして仮に何かを学べても的の方が動く。読まれた形は消えるので、去年の教訓が今年の罠になる。
1万時間ルーレットを回しても、ルーレットは上達しない。それと同じことだ。
指標を重ねても、証拠は増えない
「単体の指標がダメでも、複数を組み合わせて精度を上げればいいのでは」。私もそう考えていた。15分足で環境を見て、MACDでタイミングを取り、RSIで裏を取る。根拠が3つに増えた気がする。
だが、MACDもRSIも移動平均線も、すべて同じ終値の数列から機械的に計算される変換である。独立した証拠が増えているのではなく、同じデータを別のレンズで二度見しているだけだ。
ジャグラーで言えば、ブドウとREGという独立した材料で判別するのではなく、REG確率と「REGを含む合算確率」を二重に確認して精度が上がった気になる、あの構造だ。

以前ハナビの記事で「情報は余計な加工をせず、そのまま独立に使え」と書いたが、テクニカル指標の重ね掛けはその逆をやっている。価格由来の加工品を何枚重ねても、元の情報は1枚しかない。
「順張りなら勝てる」という最後の逃げ道
ここまで読んで、こう反論する人がいる。
「論文が否定したのは、RSIが売られすぎだから買う、といった逆張りの話だろう。トレンドに乗る順張り(モメンタム)は別で、あれには本物の優位性があるはずだ」と。
半分は正しい。モメンタム、過去に上がったものはしばらく上がり続ける傾向は、学術の世界で最も頑健に確認されてきたアノマリーの一つだ。ここは逆張り指標とは違い、嘘ではない。
だが、これも二段で崩れる。
一つ、時間軸のすり替えがある。学術的に確認されているモメンタムは、数ヶ月から1年単位で持ち続けたときの傾向だ。ところがデイトレで持ち出される「勢いに乗る」は、数分から数時間の話にすり替わっている。
この二つは別物で、むしろ数分〜数日の超短期では、行き過ぎはその後戻る(反転)ことの方が多いと報告されている。月単位の実証結果を、分足の根拠として流用しているだけだ。「走っている車は急に止まれない」という物理の比喩は直感に訴えるが、比喩は証拠ではない。
二つ、仮に日中の勢いに歪みがあったとしても、前の節で見た論理がそのまま効く。それは床に落ちた現金で、読めた瞬間に読まれて消える。しかもモメンタムを加速させているのは、節目を割ると一斉に売りを上乗せするアルゴリズム自身だ。
だとすれば、その歪みを最初に拾うのはミリ秒で動くそのアルゴリズムであって、5分足の確定を待ってボタンを押す個人ではない。順張りは逆張りより上等な地図に見えるが、拾われ尽くした跡地の地図であることに変わりはない。
前回、学術誌に載った本物のアノマリーですら公開後はリターンが痩せると書いた。モメンタムは、そのアノマリーの中でも最も有名で、最も研究し尽くされたものだ。
本物ですら公開されると死ぬ世界で、一番有名な優位性が、証券会社のツールで誰でも引ける形のまま、分足で個人に拾われるのを待っていると考える方が不自然だろう。
規律だけは本物。ただし、目押しと同じ
公平を期して言えば、デイトレの教科書に書いてあることが全部無価値なわけではない。損切りルール、ポジションサイズの管理、連敗したら休む。この「規律」の部分には実際に価値がある。
ただしそれは、期待値を生む価値ではない。行動の歪みを削る価値だ。
前回書いた通り、期待値ゼロのコイントスでも、感情で打てば「損は伸ばし、利は削る」歪みで系統的にマイナスに傾く。規律はこの歪みを止め、成績をその手法の素の期待値に近づけてくれる。
パチスロに正確に翻訳すると、規律は目押しに相当する。ビタ押しを完璧に決めれば、機械割は理論値に届く。だが、完璧な目押しで打っても、設定1は設定1だ。技術でこぼれを止めることはできても、台の機械割そのものは1ミリも動かない。素の期待値がゼロなら、完璧な規律の到達点もゼロだ。
これは規律を自動化しても変わらない。逆指値を使って損切りと利確を機械に任せ、感情の介入する余地をゼロにしたとしても、それはサイボーグに完璧な目押しをさせているだけだ。行動のこぼれは消えるが、座っている台の設定は1ミリも変わらない。
勝たせてはくれないが、負け方をましにする。規律とはそういう技術だ。
まとめ:市場をオカルト化しているのは誰か
最後に、一番の皮肉を書いておきたい。
ホールで波を読んでいるおじさんは他の誰にも影響を与えない。彼の波読みは抽選機のランダムさと無関係に空回りしているだけだ。
だが市場の波読みは違う。チャートに形を見つけて売買する参加者たちは、その売買によって形を消している。つまり、市場を予測不能にしているのは、市場を予測しようとする参加者たち自身なのだ。
テクニカルで勝とうとする無数の人々は、集団として、市場を効率化する労働を無償で引き受けさせられている。
『敗者のゲーム』という投資の古典があるが、あの本の核心はまさにこれで、プロと情報技術が増えすぎた結果、市場を出し抜くゲームは「上手いショットで勝つゲーム」から「ミスした側が負けるゲーム」に変わってしまった、という話だ。
「上手いショットで勝つ」から「ミスで負ける」への転換を論じた本。勝ちにいくのではなく負けを減らすことが、なぜ個人にとって最適解になるのかが分かる。
一言でまとめる。
パチスロのオカルトは読むものが最初から存在しない。株のテクニカルは読めた瞬間に読まれて消える。個人の手元に残る結果は同じゼロでも、理由がまったく違う。
そして、こうなると最後の疑問が残る。テクニカルで勝てないのなら、デイトレで実際に生計を立てている人たちは、いったい何者なのか。市場のどこかに本物の期待値があるなら、それはどこに置かれているのか。
次回、この連載の最終回で、その答えを書く。先に言っておくと、勝っている人は客席にいなかった。


参考文献
- Chague, De-Losso & Giovannetti (2020) “Day Trading for a Living?” SSRN Working Paper
- McLean & Pontiff (2016) “Does Academic Research Destroy Stock Return Predictability?” Journal of Finance 71(1)
- チャールズ・エリス『敗者のゲーム』


